ブリヂストン第一号タイヤの歴史的写真 石橋正二郎は努力の人
住吉タイヤ竹内宏樹です。
私はブリヂストンが大好きで、ブリヂストンの創業者、石橋正二郎さんのファンでもあります。理由は正二郎さんの挑戦する姿勢、努力する姿勢が大好きだからです。色々すごい方ですが、簡単に正二郎さんの歴史を説明します。
正二郎さんは福岡県、久留米で呉服屋の息子として生まれたました、正二郎さんは呉服屋としては限界を感じ、次に手掛けたのは、足袋に目を付けました。そして足袋の底にゴムを張り付けて得り始めました。地下足袋の発明です。これが、大ヒットしました。日本全国に「アサヒ足袋」が広がり、アジア諸国にも広がりました。重労働をする男は皆地下足袋をはきました。鉱山では生産性は飛躍的に上がったと聞きます。そして正二郎さんは九州に1台しか車が無い時代に、「次はタイヤだ!!」と言って、タイヤを研究と開発を始めました。家族にも反対され、大赤字も出しても、寝るのを忘れるくらいの努力を重ねました。苦労に苦労を重ねた結果、この写真の第一号タイヤが完成されました。感動的な写真です。思いが詰まった写真です。1号タイヤを世の中に出した後も、不良品の返品制度を歌っていた為、嫌がらせで全国から返品され、返品タイヤの山が出来たそうです。それでも、さらに良いタイヤ作りを目指し続けました。この正二郎さんのDNAが今もブリヂストンには根付いているのです。第一号タイヤの生産は1930年4月9日の事でした。石橋正二郎さんはこのような言葉をこの時残している。「幼稚ながらも外国の指導を受けず、独自の研究によって技術を築きあげたわけである。私も素人ながらこの苦難によって心血を注ぎ技術に専念したので、技術上の知識を深める事が出来、今日から見ればその苦労はむしろ有益であったと思う」と語っています。
私達も住吉タイヤもこのDNAを受け継ぎたい。
上記のロゴは創業当時のブリヂストンのロゴです。橋のキーストーンのマークです。