ブリヂストンは零戦にタイヤを供給 エアーパーク浜松広報館
ブリヂストンは、第二次世界大戦の際に零戦にもタイヤを供給していました。
竹内宏樹です。先日エアーパーク浜松広報館に行ってきました。車で1時間30分の所にあります。そこには20機近くの飛行機があります。歴代のブルーインパルスなど色々な戦闘機が展示してあるのですが、その中の一つに零戦があります。こちらに、ブリヂストンがタイヤを供給していました。世界初のタイヤ格納式の飛行機で、画期的な仕組みだったようです。すごいですね。
浜松広報館の零戦は普段は上吊るしてあるのですが今回たまたま、メンテナンス中で下に降りていたので解体されていました。タイヤも近くで見る事が出来ましたが、この機体のタイヤではブリヂストンの文字の確認はできませでした。タイヤの雰囲気から見てもそこまで古くないので、動かす為の代替え品だと思います。80年前のタイヤはさすがにボロボロになりますので、タイヤとしての機能はしません。当時のタイヤもみたかったな~。またどこかの機会で見に行きます。
しかし、近くで見る零戦はものすごいオーラです。他の機体と比べると雰囲気が違いました。
零戦は太平洋戦争初期には、そのすばしっこさから、アメリカ軍の飛行機や、戦艦を次々と撃ち落としたと聞きます。それに危機感を覚えたアメリカは、バーナードクープマンによりランチェスターの法則を応用して、必勝の計算をしました。それが、「零戦一機に対してアメリカの戦闘機三機で戦う」と言う計画でした。アメリカ軍はそれを実行し、そこからは次々と零戦を撃退して行ったと聞きます。
こちらの画像は、半分に分解されていた、のでたまたま撮影出来た写真です。
このように、肉抜き加工がかなりされている事が分かります。開発者の軽量化の意図が見る事が出来ますね。こんなに鉄板に穴が開いているんですね。強度はどうなんですかね。
栄21型エンジン 「栄」ってついてるところがかっこいいですね。
他の資料には、ブリヂストンの資料に零戦のタイヤは、「600×175 通常内圧4.5KG/CM2」 と表記されているようです。
戦争の話は抜きにして、当時世界最高峰の技術と言われた、零戦に、ブリヂストンのタイヤが使用されていたと思うと、ブリヂストンのタイヤはやはりすごいですね。ここに石橋正二郎さんのタイヤ作りの魂が入っているのです。今回素晴らしい資料が見れて嬉しかったです。
ちなみに私が一番好きな映画は「硫黄島からの手紙」です。あの映画はいつ見ても、栗林忠道さんがかっこいいと思いますし憧れます。栗林さんは、映画の通り、「戦略家」であり、「人格者」であります。発展する組織のリーダー像の鏡のような人です。映画では、「国の為重き努めを果し得で、矢弾尽き果て散るぞ悲しき」と言っているので物資が完全に不足していたのですがそのなかで、弱者の戦略を徹底して、摺鉢山に敵を引き寄せ、接近戦を行って、最善を尽くし、硫黄島を一日でも長く守りました。現代社会でもしいらっしゃったら、経営者としても、素晴らしい実績を上げるかただと思います。
竹内宏樹